私は香川由梨子先輩の勧誘で写真部に入ることになった。
昨日は部室で説明を聞いてから途中まで一緒に帰った。
それでわかったことがある。
私、あの人にどんどん惹かれてる。
最初のときも凄くキラキラしてるな、なんて思ったけど、また違う意味で。


由梨子先輩はとにかく可愛いのだ。
私が由梨子先輩って呼んだ時、耳まで真っ赤になっていた。
帰るときだって、「由梨子先輩」って呼ぶたびにちょっとびっくりしたような顔をして……。


家に帰ってから私はベッドの上でその可愛さにごろんごろんした。
…それは由梨子先輩には秘密だけど。
それに帰り際にメアド交換もして、いつでも連絡が取れる嬉しさにもごろんごろんした。
今日は木曜日だから活動日だ。(活動日じゃなくても行くつもりだけどさ)
今日も先輩と会えるんだよなあ、と思うと学校生活が一気に楽しくなる。
早く放課後になってほしい。今は確か2時間目で、古文の先生が動詞の活用形を黒板に書いているが、私のノートは真っ白だ。
それくらい私はそわそわしている。ちらりと時計を見ると、あと2分ほどで2時間目は終了だ。
そこで私は閃いた。
「よし…じゃ、今日はここまでね。動詞の活用は基本事項だからしっかり覚えとくように」
先生がそう言うのと同時に2時間目終了のチャイムが鳴り、委員長が号令をかけて先生が教室を出て行く。
私もそれに続いて教室を飛び出した。
目指す先は2年1組。
私は好きなものに対してはがつがつ行くタイプなのだ。


*
「香川ちーん、1年生の子が呼んでる」
そう呼ばれて扉まで行くと、揚村さんが立っていた。
「揚村さん?どうしたの?」

「先輩、突然すみません。ちょっとお願い事があるんですけど」

「お願い事?」

『今日お休みします』くらいを想像していた私だが、『お願い事』と言う単語に頭にはてなマークが浮かんだ。

「はい。今日、一緒にお弁当食べませんか?」

「おべんと?」

「親睦を深めたいなって思って…。あ、一緒に食べる人が居るなら良いんですけどね?」

「…っ」

私は感動した。親睦を深めるために自分からアクションを起こすなんて。私が1年生の頃はそんなことをしなかったから。
既に一緒にお弁当を食べている友達は居るが、理由を話せばわかってくれるだろう。

「大丈夫よ!じゃあ昼休みに部室で良いかしら?」

「っはい!! ありがとうございます!
じゃあ昼休みに!」

彼女は本当に嬉しそうにそう言って、自分のクラスへと戻って行った。

一緒に食べている友達には理由を話さなければいけない。


「福木さん、今日お昼…」

「え?ああ、話はちょっと聞いてたよ。お昼今の子と食べるんでしょ?
あたしは他の子と一緒に食べてるからさ」

「あ、ありがとうございます。明日は多分、一緒に食べられると思うんで」

「ん。わかった」

いつも一緒にお弁当を食べているのは福木那智と言うモデル体型の美人である。
一目見た瞬間に「これからこの人と言葉を交わすことは数えるほどしかないんだろうな」と思ったが、クラス替え初日に向こうから声を掛けてきたのだ。
それから一緒にお弁当を食べるようになった。
話してみると案外趣味が合うことに気付き、最近は何となく福木さんの性格等もつかめるようになってきた。若干ナルシスト気味なところとか。
ただ、私のことを「香川ちん」と呼ぶのは止めてほしいのだけど。


そうこうしているうちに3時間目開始のチャイムが鳴った。
3時間目が終われば昼休みだ。
椅子に腰かけながら、ちょっとうきうきしている自分に気がついた。


*そして昼休み
3時間目終了のチャイムが鳴ると同時に教室を飛び出した私だったが、いざ部室に来てみると鍵が開いていなかった。
(早く来すぎた…)
考えてみれば、たとえ先輩が私と同じようにチャイムと同時に教室を出たとしても職員室に鍵を取りに行く分時間がかかるのだから、待つことになるのに決まってる。
昼休みが楽しみ過ぎてそこまで考えが回らなかったのだ。

部室の扉に背を預けて、先輩のことを考える。


そう言えば先輩は、私のことを「揚村さん」と呼ぶ。出会って間もないけど、後輩なんだからそんなによそよそしい呼び方しなくても良いのに。
だけど先輩は見るからに真面目だから、「後輩との間には明確な線引きが必要」とか考えてそうだ。

もしそうだとしたら、そんな線引き必要ないから名前で呼んで欲しい。
そうしたら…。きっともっと仲良くなれると思う。私は先輩ともっと仲良くなりたい。

「揚村さん!」

そんなことを考えていたら、先輩が小走りにこちらへ向かってくるのが見えた。

「待った?私も結構早く出てきたつもりなんだけどなあ」

「あ、そんなことないです!私が早く来すぎたってだけなんです」

「そう?はー疲れた」
そう言いながら先輩は鍵を開け、中に入っていく。私もそれに続き、昨日座ったのと同じ椅子に座り、お弁当を広げた。

「先輩、急でびっくりしましたよね?なんだかすみません」

「ううん、良いのよ。部室で食べるの初めてだから新鮮だしね。
…それにしても揚村さんは偉いね。先輩と積極的に親睦を深めようなんて、私が1年生のころは全く考えなかったもの」

「それは私が先輩ともっと仲良くなりたいからですよ!」

「本当?そう言うこと素直に言ってもらえるのって、恥ずかしいけど嬉しい」

言葉の通り、先輩の頬はピンク色だ。…可愛い。
この流れなら、言える気がする。「名前で呼んでください」って…!

「ねぇ、」

「はいっ!?」

口を開きかけたそのとき、先輩が私に声をかけた。

「揚村さんのお弁当凄く美味しそうだね。お母さんお料理上手なのね」

「えっ?…あ、はい、上手い方だとは思います」

「良いなあ。私もそれくらい作れるようになりたい」
ふふ、と笑う由梨子先輩につられて私も笑う。
でも、自分が今凄く不自然な笑顔をしている気がした。


『お母さん』。
まだ慣れないから。


―結局そのあとも他愛のない話をして、午後の授業が始まる5分前に部室を出た。

今は言い出せなかったけど、まだチャンスはあるもの。



全ての授業が終わって、部活へ行こうと身支度をしていたら、福木さんに呼び止められた。


「ちょっと気になることがあってね、時間いい?」

「なんですか?」

「さっき後輩の子来たでしょ。香川ちんその子のこと『揚村さん』って呼んでたじゃない」

「ええ、そうですけど…」

「お節介かも知れないけど、あんなよそよそしい呼び方しなくても良いんじゃない?
これからずっと顔を合わせる仲なんだからさ、名前で呼んであげれば?」

「名前ですか…」

福木さんの発言は私をハッとさせた。
揚村さんにお弁当に誘われたとき、私は彼女の行動に素直に感動した。
それなら私も何かアクションを起こしてみるべきなのではないか…。

「うーん、本当にちょっと気になったから言ってみただけなんだけど。
ただの気まぐれなアドバイスとして受け取ってよ。
じゃ、あたし部活行くね。時間とっちゃってごめん」

「いえ、お気になさらず。部活頑張ってくださいね」

そう言うと福木さんは急ぎ足で教室を出ていった。

私も早く行かなければ、きっとあの子が待っている。




しかし予想に反して、揚村さんはまだ来ていなかった。
不思議に思いつつも、鍵を開けて中に入り、椅子に座り彼女を待つ。

暇だから『写真入門』と言う本をぱらぱらとめくるが、頭の中は「名前」のことで一杯だった。

「揚村…。かずみ…」

口にすると頬が赤くなるのがわかった。
基本的に同級生も「名字+さん」呼びなのだ。だから下の名前で呼ぶと言うのは、少し恥ずかしいものがある。
でも、福木さんが言うように私とあの子はこれから長い付き合いになるのだ。恥ずかしがるなんてばからしいだろう。

―覚悟を決めなければ。

「由梨子先輩!!遅れてすみません!!」

「わっ!!びっくりした!!」

完全に自分の世界に入り込んでいた私は、突然フェードインした彼女に驚いた。

「私今日も当番だったんです。っていうかびっくりしたって何がなんです?」

「う、ううん…。何でもないのよ…」

「?そうですか。ところで今日は何をするんですか?」

「あ、カメラの使い方とか…」


今、今。
何度も呼ぼうと思うのだが、タイミングを逃してなかなか言えない。

心臓がばくばく言っている。たかだか後輩の名前を呼ぶくらいなのに、それくらいわかってるのに。


「ねぇ先輩」

揚村さんが私を呼ぶ。私にとっては絶妙なタイミング、だ。
今だ。今言うんだ。

「…っ、何かしら、和美ちゃん…」

「えっ…」

えっ って何よ!そっちが話しかけて来たんじゃない…!! そう言いたいが、名前で呼んだ恥ずかしさで顔を上げることができない。
その上なんだか妙な空気になってしまった。

「先輩、今、私の事名前で…」

妙な空気を破ったのは、どこか呆けたような揚村さんの声だった。その声で私は顔を上げる。

「あ、ああ!!ちょっとね、呼びたくなったから呼んでみただけなの!!嫌だったら、もう呼ばないからっ」

「嫌なわけないじゃないですか!!」
恥ずかしさで一気にまくしたてると、彼女からはそれを否定する言葉が返ってきた。

「由梨子先輩、私は逆に嬉しいんです、名前で呼んでもらえて…。今日一日中ずっと名前で呼んでもらいたいって考えてたくらいなんです。
だからもう呼ばないなんて言わないでください。ずっと名前で呼んでください」

「ほ、本当…?」

思わず頬が緩んでしまう。そのときちらりと見た揚、和美ちゃんの顔はちょっと赤くなっていたような気がする。

「本当です。でも、ひとつ欲を言うとするなら」

そこで彼女は言葉を切り、じっと私の目を見つめて、言った。

「呼び捨てで呼んでください。『和美』って」

新たな関門だ、と思った。やっとのことで「和美ちゃん」と呼んだのに、今度はさらにハードルの高い「和美」呼びである。
…でも、彼女の真剣な目に見つめられて、どうして呼ばないことができるだろうか。

「…わかった。か、和美」

絞り出すように出した声でそう呼ぶと、ぱぁぁ と効果音が付きそうなくらい、彼女の顔が明るくなった。

「由梨子先輩…!! 約束ですよ。これからずっとそうやって呼ぶんですからね!!」
 
「う、うん…。わかったけど、多分慣れるまで時間がかかると思う…」

「意地でも慣れさせるんですよ」

揚村さん、もとい和美は結構横暴なのかもしれない。
それこそ慣れて行くしかないんだろうけど。

今の彼女は、昨日と同じくらい、いや、それ以上の笑顔をその可愛らしい顔に浮かべている。

この笑顔を毎日見れるなら、彼女に振り回されるのも悪くない―

「あっ、先輩、こういうのどうですか?名前で呼ぶのを忘れたら罰ゲームとか」

「はっ?例えば?」

「その日1日語尾に『にゃ』を付けて話すとか」

「…あんまり調子に乗るとぶつわよ」

「わぁ、冗談ですよぅ。由梨子先輩、もっと名前で呼んでください」

「和美…」

願い通りに名前を呼んでやると、やはり彼女は幸せそうに顔を綻ばせた。

私と彼女の距離は、間違いなく縮んだようだ。その事実に、胸が熱くなった。



誰かの名前を呼ぶことがこんなにも嬉しくて幸せなことであるということを、今日初めて知った。