4月。2年生に進級して、写真部員は私ひとりになってしまった。というのも、他の部員が皆卒業してしまったからである。今は体験入部期間だけど、写真部を訪れた1年生は、今のところ0人だ。
頼むから今日は1人くらい来てくれ、と祈りながら部室に向かって歩いていると、前方に落とし物を見つけた。
(生徒手帳…?)
持ち主を確認するべく手帳を開くと、そこには美しい海の写真が挟んであった。

「……っ」

私は思わず息を飲んだ。―上手い。この人にはきっと、写真の才能がある。
欲しい。この写真の持ち主が、欲しい。
私の写真部部長としての欲望が頭をもたげた。

『揚村和美 1年6組 2番』
彼女がこの写真を撮ったのでは無いのかも知れない、でもこのチャンスを逃す手はない。
私は足の向きを変え、1年6組へと急いだ。



1年6組を覗くと、1人の生徒が机に向かって何かを書いていた。下を向いているので顔はわからないが、色素の薄いロングヘアーが証明写真と一緒だ。
「揚村和美さん?」
声をかけると、顔をあげてこちらを見た。かなり可愛い顔立ちをしている。
「はい、そうですけど…?」
「生徒手帳を拾ったの。まだ教室に残っていたようで良かった」
下校のチャイムが鳴ってから結構経っていたので、彼女が残っているのか不安だったのだ。それに…既に部活に行ってしまった、という可能性もあった。とりあえず生徒手帳を渡す。
「あ、私今日日直なんで。出席番号が早いと、これだから嫌なんですよね。わざわざありがとうございます」
「どういたしまして。…時に、揚村さん」
「はい?」
私にとってはここからが本題。
「あなたの生徒手帳に挟まってるその写真、一体誰が撮ったの?」
「…え、この写真ですか?
これ、私が撮ったんてすよ」
「…!!」
これは運命かもしれない。こんなに美しい写真を撮ることができる子と出会えるなんて。
そうと決まったら、勧誘するしかない。
「あ、揚村さん!あなた、もう入る部活は決めた!?」
「え?い、いえ、まだですけど…」
「まだ?それじゃ、入ろうかどうか検討してる部活は!?」
「それもないですけど」

『かもしれない』じゃない。これは運命なのだ、と私は思った。
「揚村さんっ!」
「はいっ!?」
「写真部に入らないっ!?」





そんなやりとりの数分後、私はひとりで部室に居た。
彼女の答えは「考えさせてください」と言うものだったのだ。考えてみれば、初対面の人間にいきなりあんなことを言われたら戸惑うに決まっている。
考え無しな行動をして悪かった…。と今は反省している。
しかし、「考えさせてください」とは暗に「入りません」と言ってるようなものなのではないか?
もしそうだとしたら、私はつかみかけた金の卵を落としてしまったと言うことになる。

「…ハァ」

…ついでに名前も名乗らずに勧誘していたことにも気付いた。
考えれば考えるほど自己嫌悪に陥ってしまい、帰る準備を始めていると、ガラリと扉が開いた。







「考えさせてください」
そういうと先輩(写真部の人みたい)は見るからにしょぼんとしてしまった。いや、でも初対面の人にいきなりあんなことを言われたら驚くし、とこっちにも言い分はある。

「…」
思い出すのは、あの先輩の興奮のしよう。めがねで、髪をふたつに縛ってるっていう見るからに真面目そうな人も、あんなに興奮するものなんだ…と思ってしまった。偏見入ってるけれども。
というか、
(私の写真ってそんなに綺麗?)
当番日誌を書く手を止めて、青い海が写った写真をじっと見つめてみる。
ちょっと遠出をしたときに、ふと目をやった海がものすごく綺麗で、持っていたデジカメで思わず撮ってしまったものだ。
そして気に入ったから現像した。
上手いか下手かなんて意識したことはなかったけど、自分でも気に入っている写真を認めてもらえたみたいで、それが凄く嬉しかった。
自然と笑みがこぼれてしまう。

(わざわざ勧誘されるってことはやっぱり・・・上手いってことだよね)

現金な話だけども、自分にちょっと写真の才能があるかも?と思い始めると、俄然写真に興味が湧いてくる。
海以外の自然や建物を撮ったりするんだよね。

…今まで打ちこめるものが全くと言っていいほど無かった私だけど、もしかしたら写真なら。

なんだかそんな気がしてきた。止めていた手をもう1度動かし始める。

(…それにあの先輩、ちょっと気になる)
あんなに熱心に勧誘するなんて、相当写真が好きなんだな、って。そんなに好きになれる何かを持ってるあの人が、なんだかキラキラ輝いて見えた。私がそう言うのを持っていないから尚更。

そのキラキラを、もう一度見てみたい。

「写真部…行ってみようかな」

もう誰もいないかもしれないけど、行ってみるだけでも。あともう少しで日誌を書き終わる。文字が気持ち右上がりになっている。
それは私の癖なのである。嬉しいことや楽しいことがあると、文字が右上がりになる。

「よしっと!」

私は書き終えた当番日誌とスクバを持ち、部室棟へと向かった。





開いたドアのところに立っていたのは、揚村和美その人だった。

「揚村さん…?」
「良かった、先輩、まだ居た!」
「え、今から帰るところだったんだけど…。何か用?」
そう聞くと、彼女は大きくお辞儀をして、言った。

「あの…っ、さっきはああ言ったけど、やっぱり体験入部しても良いですかっ」
「え…!」

先ほどの強引な勧誘で来るとは思っていなかった私は、呆気に取られて絶句してしまった。
それが揚村さんを不安にさせたようで、彼女は勢いよく顔を上げて言葉を続ける。

「あ、なんていうか、先輩を見てたら、凄く写真が好きなんだなっていうのが伝わってきて!
で、それが素敵だなって思えて!!
私もそんな風に写真を撮れるようになりたいなって思って…!」

ああ、いたいけな後輩に語らせてしまった。先輩失格ね私、じゃなくて、

「ご、ごめんなさい!嬉しすぎて思わず絶句しちゃったわ…。入部は大歓迎よ。ううん、そんなことより、来てくれてありがとう。本当に嬉しい。
とりあえず中に入って」

嬉しすぎて思わず絶句って何よ、と心の中でもう1人の私が冷静に突っ込みを入れる。

「あ、失礼します」

「その椅子に座って」

「あ、はい」
彼女と2人、部室に備え付けの椅子に腰かける。

「揚村さん、さっきも言った通り来てくれて凄く嬉しいわ。でも、あんな強引な勧誘しちゃって…。ごめんね」

「い、いえ!その件に関してはホント、気にしないでください!!」

「ありがと。それに私、まだ名乗ってすら居なかったのよね。私、香川由梨子。2年1組。よろしくね」

「は、はい!よろしくお願いします!…ところで、他の部員の人たちはもう帰っちゃったんですか?」

きょろきょろ部室を見まわして、不思議そうに彼女が問う。

「…実はね、写真部員は私1人なのよ」

「えっ、そうなんですか!?」

「そうなの。去年は1年生が私だけで、あとの部員は全員3年生だったのね。だから私以外の部員は全員卒業しちゃって…」

「そ、そうだったんですか…。じゃあ、今のところ部員は2人だけってことなんですね?」

「この先誰も入らないのならそういうことになるわね。一応貼り紙貼ったりするつもりだけど」

「なるほど…」
何か不都合でもあるのだろうか、と思い内心ビクビクしながら彼女の質問に応じる私。しかし受け答えの様子や雰囲気を見る限りそんなことは無さそうなので、ホッとしてしまう。

「あ、そうだ。活動日なんだけど、週に2回、火曜日と木曜日ね。火曜日に写真撮って、木曜日に現像かな。現像の仕方とかカメラの使い方は、折々教えていくけど。活動日以外の日も基本は放課後部室に居るから、いつでも来て良いわよ。
何か質問ある?」

そう言うと、彼女は「あ、はい! えっと、あのう」と言って口をもごもごさせ始めた。
「うー」とか「あー」とか言い続けているので、ここは先輩としてどんなアクションを取るべきかと内心あわあわしていたら、意を決したように

「あの…、由梨子先輩って呼んでも良いですか!!」
と言った。

「…!!」
一瞬、予想外過ぎてまたもや絶句してしまった。

「も、もちろん良いわよ!揚村さん」
「本当ですか?ありがとうございます!!」
しかし先ほどのように彼女を不安にさせてはならないと、なんとか言葉をつなぐ。

…実は、今までは私が『先輩』と呼ぶ側だったから呼ばれるのは慣れていないのだ。
だから「由梨子先輩」と言う新鮮な響きに、顔が赤くなってしまう。揚村さんは嬉しそうにこちらを見つめてくるけど、正直な話、真っ赤な顔を見られたくない。
でも今の時間は射しこんでくる西日で顔の赤さが隠れるからセーフかもしれない。

「えっと…それ以外で何か質問は」

「特に無いですよ」

「そう?じゃぁそろそろ暗くなってきたことだし…帰りましょうか」

「はいっ、そうですね。由梨子先輩、明日からよろしくお願いしますねっ」
かわいらしい笑顔とともに、彼女が言った。
それにつられて、私も笑顔になる。


素晴らしい毎日が、明日からきっと始まる。
笑顔にそんな予感がした。